こんにちはchocoです。
志村けんさんといかりや長介さんの確執についての記事が話題になっています。
出典:Twitterより
志村けんとの間に噂された確執…『全員集合』の快進撃を支え続けた盟友いかりや長介の知られざる“本音”
出典:文春オンラインより
志村さんが亡くなって早や一年が経ちました。
そんな志村さんはザ・ドリフターズに憧れて芸能界に入りスターダムに上り上がりました。
志村さんがザ・ドリフターズのメンバーになるまでの流れはこちら。
志村がお笑いの世界に飛び込みザ・ドリフターズに加入することになったのは、高校の時夢中になったビートルズが関係していた。志村は当時、ビートルズに憧れていて、彼らを真似し、高校生としては珍しいマッシュルームヘアをしていた。高校2年生の時、ビートルズがコンサートで初来日。抽選に外れた志村は、チケットを持っていたクラスの女の子を説得して、なんとかチケットを手に入れた。その来日公演で前座を務めたのがドリフターズだった……が、志村が観に行ったのは、ドリフが前座を務めた次の日の公演。当時、ドリフへの思いはなかったと言う。2人の兄は大学に進学。志村は兄たちと別の道に進みたいと「コメディアン」になることを決意するが、お笑いの養成所はなく、デビューするには師匠に「弟子入り」か「付き人」からしかなかった。志村にとって問題は、誰に弟子入りするかだったが、なぜドリフを選んだのか?
リーダーであるいかりや長介に弟子入り志願をするため、いかりやの自宅を突き止め、雪の中12時間も待ち続けたという。ようやく会えたいかりやから「やめそうな奴がいるから、そいつがやめたら連絡する」と言われ、ただ待つ日々が続く。やがて高校卒業まで2か月。このまま連絡が来なかったら無職になってしまうという状況の中、その1週間後にいかりやから突然連絡が。翌日から付き人になった志村だったが、脱退した荒井注の代わりに、急遽付き人から“見習い志村”として『8時だョ!全員集合』に出演。しかしすぐに花開くわけではなかった。荒井の穴は大きく、コントは低迷。番組の会議が煮詰まる中、志村が何気なく歌った「東村山音頭」を聞いたいかりやに「舞台でやってみろ」と言われ披露したところ、それが大ウケ。プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、その後「カラスの勝手でしょ」「ピカピカの1年生」「ヒゲダンス」などヒットギャグを連発。全国のお茶の間の子どもたちに大ブームとなっていった。
出典:テレビドガッチより
過去にザドリフターズの仲間内でのいかりやさんとその他のメンバーの確執はよく出ていましたが、今回は志村さんといかりやさんの確執について調査してみました。
志村けんといかりや長介の確執になった原因とは?
生前志村さんが出演されたフジテレビのダウンタウンなうでいかりやさんについての不仲の原因を語っていました。
途中からダウンタウンなう見てた。 #志村けん pic.twitter.com/5IAWibxOi9
— マボ子 (@drifters2018) April 4, 2020
タレント・志村けん(65)が8日、フジテレビ系で放送された「ダウンタウンなう」に出演。04年に亡くなったザ・ドリフターズのリーダー、いかりや長介さん(享年72)との不仲の原因について「お金」だったことを明かした
出典:デイリースポーツより
このお金にまつわる話はその他のドリフターズの仲間からもいかりやさんが亡くなられた後も話が出ていましたね。
加藤茶さんもお金に不満!いかりやさんのBMWにオシッコをかける
同じドリフターズの一員の加藤茶さんは『5時に夢中』(TOKYO MX)に出演した際に、いかりや長介のBMWにおしっこをかけていたことについて真偽を問われ「ほんと」と回答したことがありました。
「まだ渡辺プロにいて給料制で働いていたとき。車なんか買えないはずなのに、長さんがBMWに乗ってきた。『どうしたの?』って聞いたら、『買った』と答えた」
がそのきっかけだそうです。
外車を買えるほどの給料がなかった加藤茶さんはいかりやさんにに対して「よくそんな金があるな」と怒りが湧いて
「この野郎と思って、タイヤにおしっこをかけていた」
さらに
「毎日かけていたら、ホイールキャップが1週間で錆びてやんの。俺の尿酸はすげえなと思った」
と笑いながら告白していました。
それほどまでの格差があったいかりやさんとドリフターズの面々。
志村さんもドリフ全盛期の頃は許せなかったのでしょうね。
いかりや長介と志村けんの確執の本音はどうだった?
志村さんといかりやさんの確執について本当はどうだったのでしょうか?
志村けんの原動力は
人の笑顔と笑い声この人が生み出す笑いにどれだけ笑顔になりどれだけ声を出して笑っただろう。
#金スマ pic.twitter.com/vBgW8Whr1m
— りわ (@31meltemsunnyjm) April 3, 2020
いかりやさんは著書でこう語っています。
音楽に関しては、二流か四流の集まりで、笑いに関しては素人の集まりでしかなかったドリフだったが、今思えば、この志村だけが、本格的なコメディアンの才能をそなえていたのかもしれない。(いかりや長介『だめだこりゃ』新潮文庫)
出典:文春オンラインより
また、いかりやさんは亡くなる3カ月前に、自分でお金出して志村さんの舞台を見に行き舞台終わりにスタッフが楽屋へ案内しようとしたそうですが断ったそうです。
そして志村さんはいかりやさんについて『中居正広のキンスマスペシャル』に出演した際にこう語っていました。
「なんかその、今からこうみると、笑いということは難しいけど、それに向かって一生懸命だったんだなていうのは分かりますね。僕はそのあとを継いでよかったなと思いますね」
「僕の師匠としては間違いなかったですね」
最後の舞台に対し「楽屋来てほしかったですね」と中居さんの言葉に
「ですね。できれば、その時の舞台の感想でも、一言でも面白いぞとか頑張れよとか欲しかったですね」
と目を潤ませたそうです。
今現在いかりやさんと志村さんが亡くなり心のなかでお二人だけではなくドリフターズの面々のみなさんは過去の問題は無くなっているのだと思います。
志村けんといかりや長介の確執についてみんなの声は?
志村けんさんといかりや長介さんの今回の記事についてネットではこのような声が上がっています。
- いかりやさんの著書の一文で判断するほど単純な関係では絶対なかったと思うだけなぁ
- とても魅力的に見える二人の師弟関係は最高ですね
- いつか朝ドラにしてほしい
ネットではみなさん二人に大変興味もあるみたいですね。
いずれはドラマ化にしてほしいものです。
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まとめ
今回の志村けんさんといかりや長介さんの確執についての記事はいかがでしたでしょうか?
晩年のお二人の気持ちを見るとドリフターズの関係性の強さに改めて感じさせられました。
これからもお二人が出演されたドリフの特番などみていきたいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。