毎年マグロの初競りで必ず話題を提供してくれるすしざんまいの名物社長″株式会社喜代村″代表取締役木村清(きむらきよし)さん。
♩♩すしざんまい〜♩♩
この響きとあのポーズそして社長の顔。
一度見たら忘れませんよね。
そんな名物社長がこれまでの苦労や一度は挫折しかけた心を友に助けられたからこそ成功した今でこそ話せる内容が盛りだくさんの自伝を出版しました。
今回出版された題名は
木村清著 マグロ王〜ダメだと思った時が夜明け前 (講談社)
執筆者はもちろんすしざんまい木村社長です。
日本国内だけではなく世界に目を向けてマグロを追い求める男の本音がここに書かれています。
今回はすしざんまい社長が波乱の人生を書き上げた″マグロ王〜ダメだと思った時が夜明け前″をご紹介していきます。
すしざんまい木村清社長とは
木村社長は1952年4月19日千葉県野田市生まれの67歳。
1967年中学校卒業後、F104のパイロットを目指し航空自衛隊航空教育隊(航空自衛隊生徒第14期)に入隊されています。
18歳で大検に合格したのち航空操縦学生になる資格を得ましたが、事故で目を患いパイロットを断念し1974年に自衛隊を退職されました。
自衛隊を退職後、中央大学法学部に入学し1979年に中央大学を卒業されています。
大学卒業後はセールスマンなども経験、1974年に大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社である″新洋商事″に入社。
この頃から魚の仲買人となって、築地市場で多くの取引先を持つようになったことからマグロとの関わりが出てきます。
1979年6月に新洋商事を退職し独立して喜代村の前身となる木村商店を創業。
木村商店では多種業を複数持ち、弁当屋、カラオケ店、レンタルビデオ店などを経営していたそうです。
1985年には現在運営している母体の原型となる喜代村を設立。
のちにバブル崩壊に伴い全ての事業を清算されています。
清算された後、手元に残った資金と新洋商事時代のコネを活用して寿司店″喜よ寿司″を再起を目指し開店。
2001年4月には築地ブームの先駆けとして築地場外に日本初の年中無休・24時間営業の寿司店″すしざんまい本店″を開店、以後、東京都内を中心に急成長していき東京以外では、福岡県5店舗、北海道2店舗、神奈川県3店舗、埼玉県、栃木県、大阪府、愛知県、熊本県、兵庫県、京都府に1店舗ずつ計17店舗営業されています。
2012年以降は毎年1月5日に築地市場で行われる初競りにおいてマグロを最高値で落札して、毎年初競りの時期がくると沢山のニュースで取り上げられています。
読んでみた感想は
幼少期は今の繁栄ぶりからは想像が出来ない貧しい暮らしをされていた木村社長。
お母さんと兄弟たちで分け合った2切れのマグロの美味しさに感動した話が泣かせます。
日頃テレビで観る木村社長は豪快なイメージが前面に出ていていますが、この本の中では世間では決して見せない苦労の姿を惜しみなく書き立てています。
意外なところで航空自衛隊に入隊してパイロットを目指していた頃の話も今の社長の姿を見ているだけではわからないものです。
何がどう人生の方向を変えてしまうのかわからないもので中学を卒業して目指していたパイロットを断念されて今の仕事の本流の漁業関係にドップリとハマっていくところが社長らしい。
営業職をやっているとハマる時とハマらない時があるものです。
若い頃の社長はうまく自分の波に乗せていき、次へのジャンプステップを考えていたんでしょうね。
失敗してもくじけない。
そして諦めない。
もう一度チャレンジする。
経験者だからこそ語れるのではないでしょうか。
もう一つすごくタメになった話があります。
社長は従業員もパートさんも大事にされている。
無理は言っても必ずそこには心がある。
社員を区別しないところが繁栄の鍵なのかもしれません。
経営者が一番怠りやすいことを書籍に書いたことは素晴らしいことだと思いました。
その他にもソマリアでの海賊とのやりとりなどファンタジーさも感じ大変興味深く読んでしまいました。
苦労人だったすしざんまい社長の感動本、私は何度も読みたくなる1冊です。
最後に
すしざんまい木村社長はこんな言葉を残しています。
⌈もうダメだと思うときは疲れている時。そういうときは布団に入って心のスイッチを完全に切り替える⌋
経営者はいつも色々なことを考えていきます。
辛いことや考え込んでしまうことなど沢山あります。
そのような時は木村社長のこの言葉を思い出してください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。。